な ん で も 写 真 館



「伊勢亀山城」
[写真&コメント:管理人(電気/S49年卒)]   .

先日開催された 「2023 YUMC OB&OG会 in 甲府」 の翌日帰途に、 “清洲城〜岐阜城” を巡って岐阜で一泊したあと、次の日も続けて “亀山城” を巡るという弾丸ツアーを敢行し、既に “清洲城” 〜 “岐阜城” の概要を紹介したのに引き続いて今回は “亀山城” を紹介します。(当初は亀山城に続いて “伊賀上野城” も巡る予定だったが、山城の岐阜城で予想外に体力を消耗して疲労困憊のため止む無く断念

伊勢亀山城城の概要
天正18年(1590)岡本宗憲が築城しました。寛永9年(1632)三宅康盛の代に天守が下ろされ、正保年間(1644〜1648)本多俊次が城主の時に天守跡に現在の多門櫓が建てられました。

平屋建白壁の塗込で屋根は入母屋造り、東西北の三方に破風があり、平時は武器庫として利用していました。県内に唯一現存する城郭建造物として、昭和28年に県史跡に指定され、特に桜や積雪の頃は野趣にあふれ、高石垣の上にそびえる多門櫓は今も往時と変わらぬ風情を残しています。
創建年代:安土桃山
                       [出典 : 観光三重 HP]

天正18年(1590)、岡本宗憲によって築かれた城。築城時には、本丸・二之丸、三之丸からなり天守もあげられていたとされます。この天守は、寛永9年(1632)、丹波亀山城(現在の京都府亀岡市)の修築を幕府より命じられた堀尾忠晴が間違えて解体してしまったという伝承があります。
 現存する「多門櫓」は、18世紀後半頃に武器庫として建てられ、明治期には士族授産の木綿段通 (もめんだんつう)工場として使用されていたため破壊されずに現在まで残り、三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡及び県有形文化財(建造物)に指定されています。
                       [出典 : 亀山市観光協会 HP]

・「亀山城多聞櫓」 
(ニッポン旅マガジン)
・「亀山城」 (ニッポン城めぐり)
・「亀山城跡」 
(亀山市観光協会)
・「亀山城跡」 
(観光三重)
・「亀山城跡」 
(津市観光協会)

  《付録》 「お城探訪記
[ 撮影日 : 2023.11.27 (Mon.)]



伊勢亀山城多聞櫓



[多聞櫓が天守台に建てられた経緯]
寛永9年(1632年)、松江藩主・堀尾忠晴(ほりおただはる)は、幕府に丹波亀山城(現・京都府亀岡市)の天守を破却するように命じられましたが、なんと伊勢亀山城と取り違えて、伊勢亀山城の天守を解体するという大失態を演じてしまいます(翌年死去し、大名家を廃絶)。
こうして、天守解体後の天守台に建てられたのが、近世的な多聞櫓です。
現存する亀山城多門櫓は江戸時代後期の再建のもので、三重県の文化財。



亀山城下町案内図
亀山城鳥瞰復元模型図
[出典:「城大全・中巻/P49」(ユーキャン)]
 
伊勢国亀山城絵図
[出典:「城大全・中巻/P48」/(ユーキャン)]


伊勢亀山城説明板
 
伊勢亀山城平面図



伊勢亀山城城天守台多聞櫓に向かう


 




伊勢亀山城城天守台多聞櫓周辺


多聞櫓への石段
残念ながら開館日は土曜・日曜・祝日のみ


 
与助井戸




長大な自然石を使用した野面積みの石垣
 


 
 



伊勢亀山城の周辺


 
↑:道路向かいにある亀山西小学校敷地の外壁;↑



 



↑:「亀山城関見櫓跡」


                  「亀山城黒門跡」:→
 


「加藤家屋敷跡」

 
「亀山宿・江戸の道(旧東海道)」



   


東海道・亀山宿を示す石碑
 
JR亀山駅


[2024.01.13 : 受付]  .

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