先日開催された 「2023 YUMC OB&OG会 in 甲府」 の翌日帰途に、 “清洲城〜岐阜城” を巡って岐阜で一泊したあと、次の日も続けて “亀山城” を巡るという弾丸ツアーを敢行したので、まず “清洲城”
の概要を紹介します。(当初は亀山城に続いて“伊賀上野城”も巡る予定だったが、山城の岐阜城で予想外に体力を消耗して疲労困憊のため止む無く断念!)
《清洲城の概要》
清洲城(きよすじょう)は、尾張国春日井郡清須(現愛知県清須市一場)にあった日本の城。尾張国の中心部に位置し、一時期尾張国の守護所として栄え、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し中山道にも連絡する交通の要所として重視された。
現在、城跡は開発によって大部分は消失し、さらに東海道本線と東海道新幹線に分断されており、現在は本丸土塁の一部が残るのみである。東海道本線以南の城跡(清洲公園)に信長の銅像が、以北の城跡(清洲古城跡公園)に清洲城跡顕彰碑がある。なお、現在城址のすぐ横を流れる五条川の護岸工事の際に発掘された石垣の一部が、公園内に復元されている。
現在の天守は、平成元年(1989年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守である。創建当時の絵図が残っていないため、その規模も不明である。そのため、外観や規模は、実在した当時を想像して設計された。建造された天守は、桃山時代の城を再現するデザインで、江戸時代の漆喰塗廻の白い城とは異なる、装飾に富んだ姿となっている。
[出典 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』]
・「清洲城」 (清洲城清須市ホームページ)
・「清洲城」 (清洲観光協会)
・「清洲城のアクセスや見どころ」 (個人のブログ)
《付録》 「お城探訪記」
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《参考》 「きよす」の標記について
「きよす」の表記は、文献その他歴史的にも「清須」「清洲」の両方の記載が見られます。
古くは「清須」の表記が多く後に「清洲」の表記が多くなっています。
そこで、今回の展示リニューアルに際しては、慶長15年(1610年)の『清須越』を境目に
清須越以前を「清須」、「清須城」と表記し、それ以降の宿名、町名を「清洲」と表記して
います。
また、現在の施設固有の名称としては「清洲城」として表記しております。
[出典:清洲城清須市ホームページ]。
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[ 撮影日 : 2023.11.26 (Sun.)] |