【 いろいろ情報館 】

「朱雀門」の原作 :
“ 長 谷 卿 絵 巻 ” か ら
[情報提供&コメント:7期/河野さん]    

「朱雀門」の原作は、長谷卿絵巻ですが、私の住む秦野市の市立図書館には、その写本があります。
その中から、有名な場面を紹介します。


1.長谷雄と鬼の双六の場面
 朱雀門の楼上の板張りの部屋で赤鬼と公卿が対戦しています。


2.鬼が渚を長谷雄に渡す場面
  長谷雄の屋敷を訪れた小者風の男が十二単を着た渚を引渡しています。小さく書かれているのは、勝負に負けて卑屈になっているのを表現しているのだそうです。 


3.渚が水となって流れる場面
  濡れ縁から庭に向って大量の水が流れています。



如何ですか。「朱雀門」の長谷雄は凛々しい若き青年公卿として書かれているので原作の姿には違和感があります。しかし、当時はこれがいい男だったのかも知れません。渚の方は長い黒髪は分りますが、顔ははっきりとは分りません。「絶世の美女」は読者に想像させようと言うのでしょう。
昔の、それもさしたる有名作ではないのに、手法の高さに驚かされます。


[2003.11.09:受付]



追加情報です。

朱雀門の主人公、長谷雄は紀氏の出身ですが、その一族のプロフィールを入手しましたので、下記に添付します。紀貫之が一族にいます。長谷雄から後は落ちぶれたと書かれています。双六なんかにうつつを抜かしていたからかな?

なお、前回送った絵巻の中で「渚」の名前は登場しません。シナリオを作った薗ひさしの創作のようです。

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き【紀】
姓氏。古代の有力氏族。
(1)武内宿禰の子木角(きのつね)宿禰が母方を継ぐ。はじめ臣姓、のち朝臣姓を賜わる。大和朝廷の廷臣や将軍として小弓・大磐・男麻呂など、大化以後も麻呂・麻路・飯麻呂・古佐美・船守・家守等を輩出、中納言長谷雄以後は勢力振わず、文人として貫之・友則を出す。
(2)紀伊国造家。天道根命が神武朝に紀国造に補任し、祖となる。その職を世襲し、日前・国懸両社に奉仕。平安中期に、武内宿禰系紀氏が継ぎ、江戸時代文化年中、飛鳥井三冬を養嗣とし以後は藤氏となる。

き‐の‐いらつめ【紀郎女】
万葉歌人。鹿人(かひと)の娘。本名小鹿(おしか)。安貴王(あきのおおきみ)の妻となり、のち大伴家持(やかもち)に思いを寄せる。相聞歌が多い。生没年不詳。

き‐の‐おおいわ(‥おほいは)【紀大磐】
大和時代の武将。小弓の子。紀生磐とも書く。新羅(しらぎ)遠征中の父の死後渡鮮し、遠征将軍の蘇我韓子(からこ)を殺害。のち三韓の王になろうとして官府を開き、神聖と称したが、百済(くだら)王に敗れ、帰国。生没年不詳。

き‐の‐おまろ(‥をまろ)【紀男麻呂】
大和時代後期の武将。欽明天皇二三年新羅(しらぎ)に侵された任那(みまな)回復のために、大将軍として渡鮮。のち、蘇我馬子に従って、物部守屋を攻める。生没年不詳。

き‐の‐おゆみ(‥をゆみ)【紀小弓】
大和時代の武将。大磐(おおいわ)の父。雄略天皇の時、蘇我韓子(からこ)、大伴談(かたり)、小鹿火(おかひ)などとともに渡鮮して新羅(しらぎ)を討ったが、反撃されて敗れ、病死。生没年不詳。

き‐の‐かいおん【紀海音】
江戸中期の浄瑠璃作者。油煙斎貞柳の弟。姓は榎並。通称、喜右衛門、のち喜八。別号、貞峨。大坂の菓子商鯛屋に生まれる。豊竹座の座付作者に招かれ、竹本座の近松門左衛門と対抗。理知的、叙事的な作風で、俳諧、和歌、狂歌も好んだ。作品に「鎌倉三代記」「義経新高館」「お染久松袂白絞」「八百屋お七」など。(一六六三〜一七四二)

き‐の‐こさみ【紀古佐美】
奈良時代の武将。大納言。陸奥守。延暦七年征東大将軍として蝦夷討伐にあたったが、衣川で前進をはばまれ、帰京。(七三三〜七九七)

き‐の‐じょうたろう(‥ジャウタラウ)【紀上太郎】
江戸中期の浄瑠璃作者。狂歌師。本名三井次郎右衛門。号和春、僊果亭嘉栗。大坂の三井南家を継ぎ、のち隠居。紀海音に学んで江戸の作者として活躍し、狂歌にもすぐれた。作品に「志賀の敵討」「碁太平記白石噺」など。(一七四七〜九九)

き‐の‐ただな【紀斉名】
平安中期の詩文家。本姓田口。一条天皇に仕え、大内記、越中権守式部少輔を兼任。橘正通に学んで能文家として知られ、漢詩集「扶桑集」を撰集する。(〜九九九)

き‐の‐つらゆき【紀貫之】
平安前期の歌人、歌学者。三十六歌仙の一人。加賀介、土佐守など下級官を歴任、木工権頭(もくごんのかみ)に至る。醍醐天皇の勅命で「古今和歌集」撰進の中心となり、仮名序を執筆。歌風は理知的で技巧にすぐれ、心と詞の調和、花実兼備を説いて古今調をつくりだした。漢文学の素養が深く、「土佐日記」は仮名文日記文学の先駆とされる。ほかに「新撰和歌集」、家集「貫之集」など。(〜九四五)

き‐の‐ときぶみ【紀時文】
平安中期の歌人。貫之の子。梨壺(なしつぼ)の五人の一人。村上天皇の時、勅命によって、「万葉集」の訓釈を行ない、「後撰集」の撰者となる。生没年不詳。

き‐の‐とものり【紀友則】
平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。貫之の従兄。宇多・醍醐両天皇に仕えて大内記に進み、「古今和歌集」の撰者となる。歌風は調べがおおらかで、重厚、平明。家集に「友則集」がある。生没年不詳。

き‐の‐ないし【紀内侍】
平安中期の歌人。貫之の娘。村上天皇に庭の紅梅を求められて、「鶯の宿はと問はば」の歌を示した話は有名。紅梅の内侍。生没年不詳。

き‐の‐はせお(‥はせを)【紀長谷雄】
平安前期の漢学者。中納言。大蔵善行・菅原道真に学んで、文章博士、のち醍醐天皇の顧問となり、「延喜格」の編集に加わる。詩文の才名が高く、和歌にもすぐれた。紀納言。紀家。(八四五〜九一二)

き‐の‐よしと【紀淑人】
平安中期の公家。伊予守。南海の海賊追捕(ついぶ)に功をあげ、藤原純友の反乱を平定。のち河内守。(〜九四三)

き‐の‐よしもち【紀淑望】
平安前期の漢学者、歌人。長谷雄(はせお)の子。文章生、大学頭を経て東宮学士となり、信濃権守を兼任。「古今和歌集」の真名序の作者とされる。(〜九一九)
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ
Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988At
[2003.11.11:受付]


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