な ん で も 写 真 館



「初めての海外観光旅行」
[写真&コメント:8期/高尾さん]
                                          
55才になると”ご苦労さん”ということで会社から休暇とお金がいただけるので、8月12〜21日に家内と初めての海外観光旅行に行ってきました。 私はどうしてもという気はなかったのですが、ある日タンスの中に家内のパスポートを見つけ家内の並々ならぬ期待の大きさから、行きたくないよなんてことを言ったらただではすまないと思い決心しました。 実質8日間でドイツ、スイス、フランスの三ヶ国を回ったのですが、ホテルに着くのが毎夜21時〜22時、出発が7時半〜8時と忙しく、まるでツアー合宿のようでした。 疲れはしましたが天気にも恵まれとても良い旅行でした。家内に味をしめられるとちと困りますが・・・。


       
    1.ライン河畔の古城(ドイツ)
ライン川下りをしました。 河畔には古城がたくさんありました。 多くの古城はうち捨てられたままですがいくつかの城はホテル、レストランに改装されています。 この写真の城も営業中のようです。



            
     2.ローレライ岩(ドイツ)
ローレライ岩が近づくと観光客はこれを見ようと船の右舷に集まりますが、見終わった後はほぼ全員「な〜んだ」となります。 ここはコペンハーゲンの人魚姫などと共に”世界3大がっかり”のひとつだそうです。 昔この岩のあたりは川幅が狭く流れが急で大勢の人が亡くなった云々の伝説から有名になったそうですが、一枚岩としての景観は私の故郷の一枚岩の方が数段上です。

          
     3.ハイデルベルグ城(ドイツ)
ハイデルベルグはドイツで最も古い大学(ハイデルベルグ大学)がある学問・学生の町です。 旧市街が奇麗に保存されていて、とても美しい町です。 ハイデルベルグと言えば「アルト・ハイデルベルグ」を思い出します。 ハイデルベルグで学ぶある国の王子が寄宿先の娘と恋に落ちるのですが、国の政変により帰国せざるを得なくなり二人は離ればなれになってしまいます。 時が経ち王子は王となってこの町を訪れ娘と再会しますが今となってはかなわぬ恋・・というお話で、恋に恋する中学生だった私はこの物語の抄訳を読み胸がキュンとなったものでした。 帰国後これを読み直そうと古本を購入しましたが、これは戯曲なので読みづらいったらありゃしません。 小説風に直した本どこかにないかな。



          
     4.ハイデルベルグの町(ドイツ)
ハイデルベルグ城から見た旧市街です。 山の中腹に見える横線は偉い人達が思索をした有名な”哲学の道”です。 ボンクラの私があの道を歩いたら何を思うのでしょうか。 ハイデルベルグにはゲーテやシューマンも暮らしていたことがあり住んでいたアパートもそのまま残っていました。 年老いたゲーテが孫のように若い娘と恋をしたのは有名な話ですが、その舞台がハイデルベルグでした。 ゲーテは「文章指導」という名目でハイデルベルグ城の中庭(この写真を撮った場所あたり)で娘と逢瀬を重ねていたそうです。

         
    5.ローテンブルグの町(ドイツ)
城壁に囲まれた美しい中世の町がそのまま残っていて、タイムスリップしたかのような感じでした。 あちらの人は古いものを大切にするのですね。 写真の場所は十数年前にいすゞ「ジェミニ」のTVコマーシャルが撮影された場所です。 2台のジェミニがピッタリくっついて走るあのコマーシャルです。 左の時計塔と右奥の建物からジェミニが出てきて撮影点あたりで合流しました。 工事中だったのがちょっと残念。
             
       6.木組みの家(ドイツ)
ローテンブルグの少し南ディンケルスビュールにあるドイツで最も美しいと言われている木組みの家です。 木組みの家とは必要に応じ1階の上に2階、2階の上に3階とマッチ箱を重ねるように作られた家です。 地震の心配が無いのでこのような建築が出来るのですね。



        
   7.ノイシュバンシュタイン城(ドイツ)
この城は、バイエルン国王ルートヴィッヒU世が、自らの夢の城として建てた白亜の城です(未完成)。 若くして即位したこの王様は背が高く大変な男前だったそうですが、築城に血道を上げいくつもの城を造りました。 周辺国の脅威にさらされる中、築城にお金をつぎ込み過ぎたため国は疲弊し、とうとう家臣たちによって幽閉されました。 ある時、王様の元教育係だった将軍(?)が幽閉されている王様に面会に行き、昔話に花が咲いたその翌朝二人は森の中で遺体で発見されました。 なぜこのようなことになったのかは謎とされています。 自分が育てた王の行く末を案じ、爺や(将軍)が無理心中を図ったという説があるそうですがうなずけますね。 この城は本当に美しく(内部も)ディズニーランドのシンデレラ城のモデルと言われています。 近くではこの城をうまく撮ることはできません。 美しく撮るためにはヘリコプターが必要です。


           
     8.アルプスの風景(スイス)
登山電車に乗ってアルプスに行きました。これはユングフラウに登る途中の風景で、望遠鏡で覗けばハイジが見えるのではないかと錯覚しました。 ドレミの歌も聞こえてきそうです。          
          
     9.アレッチ氷河(スイス)
登山電車の終点の展望台から見たアレッチ氷河です。展望台の標高は約3500mと高く軽いめまいがしました。 この氷河の右側にアイガー、メンヒ、ユングフラウが眼前にありました。自然の大きさが違う!
             
        10.アイガー(スイス)
登山電車の中継駅から見たアイガーです。 右の嶺はメンヒです。

          
   11.逆さマッターホルン(スイス)
ユングフラウに行った次の日はマッターホルンに行きました。 下山時登山電車を途中下車しハイキングをしましたがそこで出会ったのがこの風景です。 こんなに穏やかな天気の良い日は滅多にないとガイドさんが言っていましたが日頃の行いが良いのでしょう。 社内報編集委員である部下にこの写真を次号の表紙に採用するよう圧力をかけているところです。
             
         12.スイスの風景
スイスは山と湖の国であるため農地がほとんど無くかつ痩せていて、地下資源もないという貧しい国だったので、外貨を稼ぐために外国どうしの戦争時それぞれの国に傭兵を送り出していました。 傭兵は最前線に駆り出されスイス人どうしで殺し合いをしました。 こんな悲しいことは繰り返してはいけないということから永世中立国の道を選んだのだそうです。 どの国にも与しないということは自分の身は自分で守るということですのでこの国は徴兵制を敷いています。 ある一定期間兵隊になる訳ですが、期間は細切れであっても50才までに終えれば良いということです。 職業軍人はわずか2000人程度しかなく、この人達は教官として訓練を担当しているということでした。 よく言われていることで「スイスの家には核攻撃から身を守る地下シェルターがある」というのはほぼ本当のことで平常時は物置や食料庫として使用している、ただしマンションにはシェルターはない ということをスイス人の友達から聞いたと添乗員は言っていました。 平和ぼけの日本人とはちょっと違いますね。 そう言えば阪神淡路大震災の時、わずか2〜3日で外国勢として真っ先に駆けつけてくれたのはスイスの救援隊だったと思います。 これも日頃有事の備えができているからではないでしょうか。         
      

             
        13.TGVに乗った
ジュネーブからパリまではフランスの誇る超特急TGVでの移動でした。 TGVは新幹線よりも大分遅かったですがその分振動が少なく静かでした。 TGVは最高速度515Km/時を誇りますが、これは試験走行での記録であり、この時の感じでは200km/時も出ていないのではないかと思いました。 ヨーロッパは各国共通の統一軌道を採用していてTGVも在来線と同じ軌道上を走るため、速度を上げようにも上げられないという事情があるようです。 車内で談笑していたところある駅で家族連れが私たちツアー一行の席に来て「その席は俺たちの席だ」と言ってきました。 添乗員の案内でこの席に座っていたのですが、チケットを確認したところあちら様の言ってることが正しいようでした。 ということで追い出され、本来の席に移動したのですが既に先客が座っていました。 英語が得意そうなツアーの仲間が「席を空けて下さい」と話しても空けてくれません。 別の車両にいた添乗員を連れ戻し交渉させてようやく空けてくれました(彼らは指定券を持っていないのです)。 日本人なら席の周りでざわざわさやれば”やばい”と直ぐに席を空けてくれるところですが向こうの方はしぶといですね。 TGVからの眺めはずーっと田園風景でした。 ドイツもそうでしたが高い山がなく広い畑が拡がっています。



            
      14.日光浴(パリ)
セーヌ河畔で大勢の人が日光浴をしていました。 ガイドさんの話では今はバカンス中であるがバカンスに行けない人達がバカンスに行ったつもりになって日光浴をしているのだということでした。 ドイツ、スイスとも町はきれいでしたがパリはゴミやら吸い殻が落ちていてきれいではありませんでした。 タバコがやめられない私は観光バスが停車するたびにタバコを吸うのですが、エッフェル塔見物の時吸い殻を携帯灰皿に入れようとしたところバスの運転手さんに道路に捨てろと言われて驚きました。 運転手さんが言うには「我々の税金で職を得ている清掃局職員の仕事がなくなるから」ということでした(添乗員談)。 清掃局の職員は夜間に町中の清掃をするのだそうで、朝は確かに吸い殻が落ちておらずきれいでした。 昨今の厳しい世界競争の中、フランスはわずか週35時間労働&上記運転手さんの話などから、この先この国は大丈夫なのだろうかと少々心配になりました。        
        
  15.鏡の間(ベルサイユ宮殿 フランス)
ベルサイユ宮殿を見物しました。 とても大きい宮殿で当時の部屋数は千を超えたのだそうです。 写真は”鏡の間”と呼ばれている部屋でゴージャスそのものです。 当時鏡は非常に高価で部屋中鏡だらけということがとてつもないことだったのだそうです。 この宮殿は王の中の王と言われたルイ14世が建て、ルイ16世の時代にフランス革命により王朝は滅びました。 ルイ15世は50〜200人の子供がいたと言われる艶福家だったそうです(権力をかさにやりたい放題だったということですね 早い話が  誰ですか うらやましいと言っているのは)。 ルイ16世は肖像画を見ても穏やかな優しい人のように見えます。 この王様は政治を顧みず芸術を愛し趣味に生きるという人だったようで、王として生まれてしまったことがこの人の不幸であったということでしょうか。 妻のマリー・アントワネットと共にギロチンの露と消えました。


    
           
   16.フォンテーヌブロー城(フランス)
多くの王侯が住んだ城で歴代君主によって次々に増改築が施され、今では中世から18世紀末までの建築様式が凝縮された歴史的遺産のひとつとなっています。 ベルサイユ宮殿に移る前のルイ14世の居城でもありました。 フランス革命後はナポレオンが住んでいましたが、戦いに敗れここを追い出される時に整列した兵士が見守る中、写真中央の階段を降りたことからこの階段は「別れの階段」と呼ばれています。 城の中にはナポレオンが使用したベッドがありました。 ナポレオンは背が低かったことを差し引いても驚くほど小さかった(特に長さ)です。 ガイドさんの説明では当時の人は背を丸めて横になって寝たということでしたが、時代によって本当に寝相が違うのでしょうか。
              
      17.オペラ座(パリ)
オペラ座に行きました。 あまりの豪華さに唖然とするばかりでした。 この廊下を撮影する時うっかりフラッシュオフの設定をし忘れてフラッシュが瞬き、近くにいたおばさんに「NO FLASH!!」と怒られました。
 この写真はフラッシュオフで撮り直したものです。

             
     18.オルセー美術館(パリ)
最終日は自由行動だったのでツアーのコースにはなかったオルセー美術館に行ってきました。 フランス語は”アン、ドウ、トロワ”しか知らないので不安だったのですが地下鉄に乗って何とか着きました。 この美術館は古い駅舎を改装したもので、外観は駅舎そのものですが内部はご覧のとおりです。 左側の丸い扉の中が展示室になっています。 教科書や画集で見たマネ、モネ、ゴッホ、ミレー等の絵がたくさんありました。オルセー美術館とセーヌ側を挟んでルーブル美術館があります。 ルーブル美術館には懐かしいモナリザがありました。 27,8年前日本に来た時は2時間以上並んで30秒ほどしか見ることができませんでしたが、今回はゆっくり見ることができました。




短い旅行でしたが見る物聞く物珍しくてとても良かったです。 あちらの方は古い物をとても大事になさるようで、この点私たちも見習わなければならないと思いました。 その古い物が今では素晴らしい観光資源として外貨獲得に大いに貢献をしています。 有名な観光地はどこも絢爛豪華な文化で、多分あちらの方にはJAPANESE WABI SABIは理解できないだろうとも思いました(お前は分かっているのか と聞かないで下さい)。 私が海外旅行で困るのは機内のタバコです。 昨年仕事でアメリカに行く時に病院で処方してもらったニコチンパッチがありましたので今回も使用しました。 ニコチンパッチは医者の処方箋がなければ出してくれないもので、「禁煙したいので禁煙プログラムを実行します」と宣誓しないともらえないのです。 アメリカから帰国後病院から「ちゃんとやっていますか」とフォローの電話があったのには驚きました。 はい続きませんでした。 病院の禁煙プログラムは挫折しましたが私は独自のプログラムを実行しています。 35年以上吸い続けてきたハイライトをやめ今はマイルドセブンの3mgにしています。 再来年はこれを1mgにし、再再来年に止めるという遠大なプログラムです。 禁煙したいと思っているあなた 私のプログラムに便乗しませんか。
月夜の晩に銭を拾ったら(田原では思いがけない臨時収入をこのように言います)今度はインカ帝国のマチュピチュに行きたいですね。

                                         
[2005.09.19:受付]

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連絡先管理人にメール猪早逸郎/第10期[1974年]卒業生)

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