な ん で も 写 真 館



「 郡山城 」
[写真&コメント:10期/岩田さん(S49年電気卒)]   

   ○○ 城シリ-ズ ○○

郡山城はもともと郡山衆と呼ばれる人たちの環濠集落であったが、大河ドラマ「麒麟がくる」でも登場する松永久秀の進攻などの幾多の戦乱の後、郡山の地は、現在の近鉄郡山駅の南隣の筒井駅付近にあった筒井城主の筒井氏が織田信長の援助を受けて支配することになった。その後織田信長の命により大和国は一城のみとなり筒井城は廃城となり郡山城のみとなった。筒井氏の後には豊臣秀吉の弟の秀長が城主となったが、関ヶ原の合戦後は徳川家康により再度筒井氏が城主となったものの大坂冬の陣の後の東西合戦の前兆での豊臣方の進攻により敗走して筒井氏は滅びた。その後は城主がたびたび変わったが、1724年に徳川綱吉の側用人で有名な柳沢吉保の長男で甲府城主であった柳沢吉里が入城し以後明治維新まで柳沢氏が治めた。

・「郡山城跡」 (大和郡山市観光協会公式ウェブサイト)
・「郡山城跡」 (奈良県観光公式サイト)

  《付録》 「お城探訪記
[ 撮影日 : 2017.12.07 ]




[出典 : 大和郡山市観光協会公式ウェブサイト]  ・PDF



【 郡山城 】

追手向櫓と追手門


 

追手門

 
追手門(城内から)


追手向井櫓
 

追手門
右側は十九間多門櫓と追手向櫓 追手門の後に見えるのは東隅櫓
 
 
追手門側から見た天守台跡
左側は柳沢神社
 

天守台跡
 







 天守台案内板
(click →
拡大表示
 


天守台からの眺め(東方向)
正面少し右手が追手門と追手向井櫓
正面の建物は法印曲輪跡(一慶法印良慶の屋敷)で常盤郭という建物になっている。
 

 追手門と追手向井櫓

 
 十九間多門櫓と右側が追手向井櫓
中央は東隅櫓


天守台からの眺め(北方向)
正面の白い建造物は薬師寺の改修中の囲い(現在は撤去されている) その左側が薬師寺の三重塔
 
城内にある柳沢吉保を祀る柳沢神社



郡山城の石垣は石材が足りなかったことにより、石仏などの転用石が用いられ前に紹介した越前大野城と同じく野面積に分類されるとのことです。
 
 堀にかかる極楽橋跡



 東隅櫓(城内から)

 
 極楽橋再現の協力をお願いする看板


 東隅櫓 左端は追手門 
 
 東隅櫓
     

 

近鉄橿原線と郡山城(東隅櫓) 

[2020.09.12 :受付] 

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