な ん で も 写 真 館



「 杵築城 」
[写真&コメント:10期/岩田さん(S49年電気卒)]   

   ○○ 城シリ-ズ ○○

大分空港は大分市内からかなり離れていて不便な空港のひとつであるが、以前別府温泉の地獄めぐりをした後、約1時間の直行バスに揺られて行くのは味気ないので途中の杵築市にある杵築城を訪ねた。

杵築城は室町時代初期に木付(きつき)氏により築かれたが、主君が失態で改易された際、木付氏は自刃し滅びてしまった。その後豊臣秀吉の時代に細川忠興の所領となり、有吉氏、松井氏が城代を務めたが、一国一城の制度のもと17世紀末には城は廃止となり、江戸時代の学者貝原益軒の豊国紀行には「木付に城なし、町あり」と記載されているとのことである。
なお、もともとは「木付」であったが、幕府の朱印状に「杵築」となっていたため「杵築」を表記するようになったそうである。

・「杵築城」 (大分県杵築市観光協会公式ホームページ)

  《付録》 「お城探訪記
[ 撮影日 : 2018.02.22 ]


【 杵築城 】

杵築城天守
三層の天守で、日本一小さい城と言われている。


 

杵築城の最寄り駅 JR日豊線杵築駅
杵築駅と杵築城がある杵築市街地とはかなり離れているので路線バスで行くのが良い。また市街地からは大分空港へ行く路線バスもある。
 
市街地の台山にそびえる杵築城



城門


 
 近くから見た天守

 城山公園から見る杵築城天守

 
案内板  : click → 拡大表示)


 天守からの眺め。前方は守江湾

 
天守から見た杵築市街


石垣下近くから見た天守

 
裏手から見た天守


 

杵築城の先にある勘定場の坂
江戸時代に収税、金銭出納の役所がこの通りにあったそうである。(手前が杵築城側)
  

勘定場の坂を上がったところ

 
勘定場の坂の先にある「藩校の門」。   .
現在は杵築小学校の裏門になっている。

     

 勘定場の坂をさらに歩を進めたところにある
武家屋敷の一つ能見邸

 
 勘定場の坂の先には武家屋敷がいくつかある。
右側は大原邸の入口の門


 大原邸の入口と土塀

 
 大原邸の入口門の屋敷側


;大原邸の建物
 
建物内部の萱葺き天井部分

大原邸内の回遊式庭園

 
大原邸玄関の立派な茅葺き入母屋破風


大原邸外観 画面奥が勘定場の坂 
       右手の下りは酢屋の坂

 
 酢屋の坂 左側は大原邸


石段が美しい酢屋の坂
 
酢屋の坂を下りたところの杵築市街地


酢屋の坂を見上げた景色

 
 
酢屋の坂全景

 
番所の坂 建物は番屋

一松邸の庭園から見た杵築城
 


[2020.07.11 :受付] 

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