な ん で も 写 真 館



「 岡山城 」
[写真&コメント:10期/岩田さん(S49年電気卒)]   

   ○○ 城シリ-ズ ○○

岡山城は、1570年に宇喜多直家がこの地を支配し、城の改築と城下町の形成を行い、次第に勢力を伸ばしていく拠点であった。直家の子、宇喜多秀家は豊臣秀吉の時代に大大名となり、これに相応しいように城の大改築を行った。ところがその後の関ヶ原の戦いにて秀家は西軍の主力として戦い最後には流刑となり改易された。その代わりに東軍についた小早川秀秋が城主になったが、早逝し、池田家が城主として幕末までこの地を支配した。

・「岡山城 川面に映える漆黒の城」 (岡山城公式ホームページ)

  《付録》 「お城探訪記
[ 撮影日 : 2019.09.26 ]


【 岡山城 】

4重6階の岡山城天守正面



 
岡山城遠景。
左側に流れるのが天然の堀となる旭川で架かっている橋(月見橋)を左に渡ると日本三公園である後楽園がある。


月見橋付近から見る岡山城全景


岡山城天守と右側は廊下門

 
案内板
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廊下門

 
廊下門 (城内から)


不明門 (あかずのもん)

 
 不明門 (天守側)


月見櫓

 
月見櫓前にある表書院跡
 

 

 

表書院の建っていた箇所の400年間の造成土。
上から2番目の印のところが幕末時の地表で表書院が建っていた地盤。3番目の印のところからは金箔瓦が出土した部分。4番目の表示部分のところは、周辺の山から土、砂を採ってきて入念に盛り、更に瓦、陶磁器の破片も混ぜ合わせている。   (説明文より)




旧天守閣の礎石跡


天守からの眺め
左側の橋が月見橋で対岸は後楽園


 
天守から後楽園方向を見る。
後方は岡山市街


廊下門付近から見た天守全景


廊下門付近から見る月見櫓

 
石垣下から見る月見櫓
     

自然の堀である旭川と岡山城                .
 


[2020.05.16 :受付] 

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