今川氏により築城されその後織田信秀が今川氏より奪取し、那古野城と称した。織田信長はここで生まれ信長の居城となったが、清洲に本拠を移したため廃城となった。関ケ原の戦い以降は、1609年に徳川家康の九男義直の尾張藩居城として、再度名古屋の地に築城することとなった。その後は御三家のひとつ尾張徳川家の居城として明治まで続いた。
現在は、名古屋市長が2022年までに木造天守に復元すると表明したが、市の有識者会議の承認が得られていないため、文化庁の現天守閣の解体許可が得られずこの先は不透明な状態である。また忠実に復元するためエレベータを設置しないことに対し抗議があった中、G20で某首相が大阪城にエレベータを設置したことがミスであったという発言で批判の飛び火が名古屋城まで及んでいる。(撮影は2017年1月)
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