な ん で も 写 真 館



~ 愛知県の城 ~
「 吉田城(豊橋城)~名古屋城 」
[写真&コメント:10期/岩田さん(S49年電気卒)]      

   ○○ 城シリ-ズ ○○

天下統一を目指し、織田信長にはじまり、豊臣秀吉、徳川家康が築いた城が愛知県にはいくつか復元されているが、前回及び前々回紹介した 「清洲城」、「小牧山城~岡崎城」 に引き続き、今回は 「吉田城豊橋城)」 と 「名古屋城」 とを紹介します。(「愛知県の城」シリーズ はこれで “完 ”となります。)

  ・「吉田城」 (愛知県観光協会)

  ・「名古屋城」 (名古屋市観光文化交流局名古屋城総合事務所)

  《付録》 「お城探訪記
[ 撮影日 : 2015.08.07 & 2017.01.21]


【 吉田城(豊橋城) 】
岡崎城を支援する役目として、主に家康の家臣が支配した。
江戸時代は東海道の重要拠点として徳川幕府の有能な譜代大名が城主となり出世城と呼ばれた。今橋城とも呼ばれていたが、明治維新にこの地が豊橋となったため、豊橋城と呼ばれるようになった。(2015年8月撮影)


復元された鉄櫓全景


鉄櫓

 
鉄櫓正面

石垣下から見た鉄櫓

 
公園から見た鉄櫓全景



【 名古屋城 】
今川氏により築城されその後織田信秀が今川氏より奪取し、那古野城と称した。織田信長はここで生まれ信長の居城となったが、清洲に本拠を移したため廃城となった。関ケ原の戦い以降は、1609年に徳川家康の九男義直の尾張藩居城として、再度名古屋の地に築城することとなった。その後は御三家のひとつ尾張徳川家の居城として明治まで続いた。
現在は、名古屋市長が2022年までに木造天守に復元すると表明したが、市の有識者会議の承認が得られていないため、文化庁の現天守閣の解体許可が得られずこの先は不透明な状態である。また忠実に復元するためエレベータを設置しないことに対し抗議があった中、G20で某首相が大阪城にエレベータを設置したことがミスであったという発言で批判の飛び火が名古屋城まで及んでいる。(撮影は2017年1月)


(2005年8月13日に紹介済なので全景と重複しない部分を紹介)


天守からの名古屋市内の眺め
(2018年5月より天守閣への立ち入りが禁止されており、当分この眺めは見られない。)

 
一部公開された本丸御殿の内部


復元工事中の本丸御殿
(2017年1月撮影、2018年6月には一般公開されており、既に完成している)

 
復元工事中の本丸御殿
(2017年1月撮影、2018年6月には一般公開されており、既に完成している)



【 犬山城 】
織田信長の叔父織田信康が改修して築いた城で、関ケ原の戦いなどでは西軍の拠点となった。江戸時代は尾張藩の家老の平岩氏、成瀬氏が城主を務めた。


(2014年12月に紹介済みなので全景以外は省略)


[2019.08.24 :受付]      

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