な ん で も 写 真 館



「 郡上八幡城 」
[写真&コメント:10期/岩田さん(S49年電気卒)]      

   ○○ 城シリ-ズ ○○

岐阜県の郡上八幡城を訪問しましたので紹介します。
この地は、遠藤慶隆が統一し郡上八幡城と城下町を建設したが、織田信孝下にあったため、豊臣秀吉に疎まれ、別の地へ転封させられ代わって稲葉貞通が城を大改修した。その後、遠藤慶隆は徳川家康に願い出て郡上八幡城を攻撃したが、最終的には和議となった。その後は、関ヶ原の戦いで遠藤慶隆は東軍で戦い、江戸幕府で初代郡上八幡藩主となった。しかし5代続いた遠藤氏も嫡男の早逝や、郡上一揆などでその後の藩主が改易になり、最後は青山氏が幕末まで藩主を務めた。現在の天守は日本最古の木造復元城である。

  ・「郡上八幡城」 (郡上八幡産業振興公社)
  ・「郡上八幡城」 (郡上八幡観光教会)

  《付録》 「お城探訪記
[ 撮影日 : 2019.05.03 ]


【 郡上八幡城 】


4層5階の天守で、1933年(S8年)に再建され日本最古の木造復元城。


I天守と桜の丸隅櫓

 
桜の丸隅櫓 奥は天守


本丸門

 
天守から見た郡上八幡の街並み



 





正面は赤谷山で、当初はこの山頂に東常慶が赤谷山城を築きこの地方を治めていたが、家臣の遠藤胤縁が東常慶・常堯親子に暗殺されるに至り遠藤胤縁の弟、遠藤盛数と胤縁の子、胤俊とともに弔い合戦で赤谷山城の戦いで東氏を滅ぼした。なお、この遠藤盛数は有名な山内一豊の妻、千代の父である。


内部の階段は木造で復元
 
城内から見た桜の丸隅櫓

桜の丸隅櫓と本丸門、その奥は天守
 
凌霜の森 
幕末に会津藩と戦った凌霜隊の碑がある。
右は松の丸隅櫓


松の丸隅櫓から見た桜の丸隅櫓

 
案内板


吉田川と八幡山

 
郡上八幡の街並み


路地を入ったところ
 
山内千代の像
(遠藤盛数の娘)



【 大滝鍾乳洞 】

郡上八幡城から東海地方最大級の鍾乳洞と言われる大滝鍾乳洞へ足を延ばした。

 
大滝鍾乳洞
 
鍾乳洞の入口へはケーブルカーで登っていく。

鍾乳洞入口
 
鍾乳洞内部「砂華の間」
1cm延びるのに100年かかるという
長い年月で作り上げた景色
 
鍾乳洞内部「天の岩戸」
 
鍾乳洞内部「蜂の巣天井」 

鍾乳洞内部に彫られた仏像

 
鍾乳洞内部の「神秘の大滝」


鍾乳洞内部「象牙の林」
 
鍾乳洞入口にある合掌造りの家


[2019.06.01 :受付]      

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