な ん で も 写 真 館



「 軍艦島(端島炭鉱)
[写真&コメント:10期/岩田さん(S49年電気卒)]      


本年、大浦天主堂など 「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」 が世界文化遺産に登録されたが、その前の2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」のひとつとして 「軍艦島(端島炭鉱)」 が登録されている。
今回はそれらの一部ですが紹介します。

《参考関連リンク》
 ・長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
 ・長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

[ 撮影日 : 2017.11.09 ]


【 軍艦島 】

島へは許可を受けた業者のクルーズ船しか上陸が出ない。
正面が島の船着き場で一隻しか停められないので業者毎に時間割り当てされている。なお、今年は台風25号の影響で船着き場が破壊し、当分の間軍艦島へは上陸出来ないとのことでした。



船を降りた正面が炭鉱入り口と総合事務所跡(左側)

 
第二竪坑抗口桟橋跡


総合事務所跡


 
島が拡張されたときに造られた護岸。
石と石の接着は石炭と赤土を混ぜたものとのこと。



事務所跡


 
30号棟アパート跡。
日本最古の鉄筋コンクリート高層アパート



30号棟アパートとその後ろのアパート群
(この先は立ち入り禁止区域)

 
アパートと工場跡(右)


工場と事務所跡(右後方)
ガイドさんの話では、台風や大波で浸食しており毎 年景色が変わってきているとのことで、今年は上陸出来ない程の被害なのでこ の跡地も大きく変わっていると思われる。なお世界文化遺産は炭鉱跡部分のみ で島の廃墟群は対象外なので復旧はしないらしい。

 
工場と事務所跡

島の南側からの眺め
(上はアパート群、下が炭鉱竪坑と工場)


 
島東側から見た案内看板



島西側から見た案内看板

 
ベルトコンベア跡


南西方向から見た軍艦島(船着き場と逆の方向)


 
アパート群
最盛期は約5300人が居住しており、
東京都の9倍の人口密度だったそうである。


島の先端まで続くアパート群
仕事が大変だった分、給料が良かったらしく
昭和30年代にはほとんどの世帯にテレビがあったそうである。


 
先端の建物は島唯一の病院




島の北側 先端の建物が病院
 
夕陽が逆光になり、まさに軍艦のように見える。

[2018.11.24 :受付]      

ご意見・ご感想および山梨大学マンドリンクラブに関する新規情報などは下記にご連絡下さい。
連絡先:管理人にメール (管理人/第10期[1974年]卒業生)

inserted by FC2 system