な ん で も 写 真 館



「 島原城
[写真&コメント:10期/岩田さん(S49年電気卒)]      

   ○○ 城シリ−ズ ○○

先日、雲仙普賢岳の噴火から25年が経ち多くの被害が発生し、その追悼番組を見て昨年11月に普賢岳の麓の島原城を長崎出張の合間に訪問したのを思い出し、今回紹介します。

【島原城 】
島原城は松倉重政が築いたが、圧政により領民の不満が高まり、島原の乱を招いた。そのため松倉家は改易となりその後、4家が支配した。

 ・「島原城 Official Site
(撮影:2015年11月26日)



外堀からの島原城天守、手前は西の櫓


五層の天守閣


【島原城縄張図】   click:拡大表示
[ 出典 : 日本の城 名城探索ガイド(南条範夫/桂樹社(P175) ]




天守への入り口

  
西の櫓


西の櫓付近から見た天守閣
 

巽の櫓 (西望記念館)
彫刻家北村西望の記念館で、長崎の平和記念像の作者である。

   
北村西望作の天草四郎像


西望記念館の先には民俗資料館がある。


   
丑寅の櫓 (民俗資料館)
   明治、大正、昭和それぞれの時代の民具が展示されている。



西望記念館付近から見た天守閣(裏手)とその先は西の櫓

   
天守石垣とその向こうは民俗資料館


 

天守閣から見た島原市街
正面は島原鉄道の島原駅、その向こうは有明海

 
天守閣から見た市街地西方

 


島原城の堀
手前の建物は島原文化会館


 

北側から見た島原城
左は丑寅の櫓、中央が天守閣、右が島原文化会館
 


丑寅の櫓

 
丑寅の櫓


  西の櫓


《付録 : 島原駅》 


島原駅
 島原城の大手門をモチーフにした駅舎

 





  島原駅構内

雲仙普賢岳の噴火により、半年間の長期不通を乗り越えて
復旧した島原鉄道であったが、その後の乗客不足には勝てず2008年4月に路線の半分が廃止になり、島原駅の二つ先の島原外港が終点になってしまっている。

島原駅から見た島原城
 

[2016.08.13:受付]      

ご意見・ご感想および山梨大学マンドリンクラブに関する新規情報などは下記にご連絡下さい。
連絡先:管理人にメール (管理人/第10期[1974年]卒業生)

inserted by FC2 system