な ん で も 写 真 館



「第43回さくらまつり (at 山家城址公園)
[写真&コメント:管理人(電気/S49年卒)]   .

4月7日(日)に実家近くの “山家城址公園” にて開催された「第43回さくらまつり」に行ってきました。
このお祭りは今年で43回目を数えるようですが、私は初めてとなります。
というのも、昨年実家の整理をした時に出て来た古文書類と絵図面を、隣に住む幼馴染の同級生に託したところ、これが “鷹栖村検知水帳27冊+絵図1枚” という地元にとって貴重な資料だったそうで、山家歴史の会(会長:有道大作氏)の推薦により感謝状をいただけることになった次第です。(同会により、これら古文書類は月1回の研究会で現在解読作業中の由でした。)

当日は午後から雨の天気予報にもかかわらず一日中に亘って晴天となり、桜もちょうど満開の時期にもあたり、まさにさくらまつりに相応しいい1日でした。
感謝状贈呈式は9時45分からでしたが、1時間半ほど早く現地に出向いて、中学の卒業式以来となる現地を散策してきましたが、当時はまったく知らなかった地元の歴史に触れることができ、貴重な時間を過ごすことが出来ました。(後で調べると、他にもまだ見どころがあったようなので、ゆっくりと再訪する予定です。)

お昼前まで参加してきたのですが、山家太鼓の演奏や地元特産品の販売や餅まきなどが行われて盛大なお祭りでした。びっくりしたのは、数台ながら観光バスが来ていたり、中には中国人と思しき数人が桜をバックに写真撮影に興じていたことです。大勢の観光客が押し寄せている京都市内に比べると、こじんまりしているこういった鄙びた風景のもまた別の趣きがあって良いのかもしれません。

  《付録》 「お城探訪記
[撮影日 : 2019.04.07(Sun.)]


 
関連資料 》   (2020.07.04 : 追記)
 
←↑ [出典 : 「明智光秀 話題の戦国武将を訪ねる旅へ」]
             (マップルマガジン/昭文社)
           .
 

[出典 : 朝日新聞・朝刊]
(2020.07.07 15面/京都版)

     
(←左の記事で紹介のパンフレット)








 



山家城址公園の入り口
(お祭り開催準備中の8時半頃に撮影)



平成4(1992)年に再建された山家陣屋の表門(櫓門) 
(山家城址館 : 2階は山家資料館)


 
今年で43回目だそうですが、
今回初めて参加





山家陣屋 (やまがじんや)
 天正10(1582)年、羽柴秀吉により丹波国何鹿郡(いかるがぐん)に1万6千石を与えられた谷衛友(たに もりとも)は中世の “山家城甲ヶ峯城)” に入ったが、狭小であるため、山麓に居館を設けた。
   〜  〜  〜
江戸時代を通じて藩主の谷氏は無城大名であったため、その居城は “山家陣屋” と呼ばれることになった。以来、山家陣屋は、谷氏十三代の居城として幕末に至る。安永7(1778)年には、山家初代藩主の谷衛友とその父・谷衛好(たに もりよし)を祀る “谷霊神社” も陣屋内に創建された。
 陣屋の建物は、明治3(1780)年、惜しくも火災で焼失してしまう。翌明治4(1871)年の廃藩置県で山家県庁となるが、ほどなく京都府に合併された。
 現在、陣屋跡は “山家城址公園” となり、公園内には、 “谷霊神社” が残る。

            [出典:「城大全(中巻)/P193」 (三浦正幸監修/碧水社)]


[2020.08.03: 追記]

[出典 : 「城と陣屋総覧 西国編」(三浦正幸監修/学習研究社)]



「山家城址」 の説明版
click → 拡大表示)
 
「山家城址」 の石碑





 


 
10時から始まったお祭りでは“山家太鼓”の演奏や、地元特産品の販売や餅まきなどが行われた。 


感謝状の贈呈
↓   
 
地元保存会の皆さんによる「山家太鼓」の演奏


立派な額入りでいただきました
 
感謝状と一緒にいただいた地元特産品の数々



城址公園内


山家藩主の祖霊を祀る 「谷霊神社」
(私が子供の頃は 「こくれいさん」 と呼んでいた)

 
お社の背面側は立派な野面積みの石垣



曲輪内に残る石組み井戸
(↓:まだ十分に水を湛えている)
 
“山家資料館” の表示があるものの、
この横の建物は閉まっていた
(表門2階の資料館に移設?)
 
 

「石垣/空堀/土塁」 の案内板

 
空堀あと? 

空堀(中央)とそれを掻き上げた土塁(右側)と思われる
   
井戸の残っていた曲輪から見下ろした景色     →
 (曲輪西側に土塁と空堀が長く続いている。)
 (竹の伐採あとがそのままなのが何とも残念

⇒ 昨今の山城ブームに加えて、来年の大河ドラマで
  明智光秀が取り上げられることもあり、石垣/空堀/
  土塁跡や説明板等もう少し体系的に整備すれば、
  立派な観光資源となる可能性を秘めている
 
     



国道27号線沿いの案内板
(ちょうどこの看板の背面方向が城址公園になる)


   
「甲ヶ峯城跡」、「照福寺跡」 を示す案内板   →
 (時間が無かったので今回は登らなかったが、
  そのうち時間を見つけて行ってみたい。)


 



山家城址公園遠景


帰りにお参りした我が家の墓地(鷹栖町)からの遠景
 
上林川の対岸にある城下町の東山町側から

山家歴史の会・有道会長によれば、山家陣屋周辺部は
  ・大手側/ (現)
綾部市広瀬町 : 武家屋敷
  ・搦手側/ (現)
綾部市東山町 : 商業地域
  ・搦手側/ (現)
綾部市鷹栖町 : 農業地域
と大まかに分かれていた由。
なお、山家藩を構成していた(旧)
何鹿郡山家村 は、
現在は 京都府綾部市 に組み込まれたが、行政単位
として“山家地区”にその名を残している


↑ : 麓の上林川を挟んだ「東山公園」から : →
(後ろの山中に「甲ヶ峯城跡」がある


山家陣屋は、由良川と上林川とが合流する地点近くの
山麓に築かれており、犬山城の様な“後ろ堅固の城”
とでも言えそうな佇まいである。
 
 
[2019.04.13 : 受付]  .
[2020.07.14 : 追記]  .

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