な ん で も 写 真 館



「 大垣城 」
[ 写真&コメント:10期/管理人(S49年/電気科卒) ]   .

山梨大学マンドリンクラブ のOB会 : 「2018 YUMC OB/OG会 in 甲府」 が 6月2日(土)に 「ホテルクラウンパレス甲府」 にて行われ、その翌日に塩尻経由での帰途に「大垣城」 に立ち寄ってきた。
ちょうど大垣市制100周年記念関連行事が、JR大垣駅前通りを大垣城あたりまで歩行者天国にして大々的に行われており、かなりの人出だった。(名物の「水まんじゅう」を食べようと思っていたが、駅前のお店は長蛇の列となっており、止む無く断念。)

  ・http://www.ogakikanko.jp/spot/ogakijyo/
  ・https://sekigaharamap.com/oogakijyou/
[ 撮影日:2018.06.03 (Sun.)]




【 大垣城 】

[大垣城の概要] (↓:下の案内板の記述から転記)

    大垣城(巨鹿・城麋城)

 大垣城は天文4年(1535年)、宮川安定が築城した(明応9年竹腰尚綱の創建とも伝えられる)といわれ、大垣市内を流れる水門川の流れを外堀に利用して築城されました。天守は四層四階建て総塗りごめ様式で、大変優美な城です。
 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは、西軍を率いた石田三成の本拠地となり、その後、寛永12年(1635年)、摂津(兵庫県)尼ヶ崎より戸田氏鉄公が入城し、戸田十万石の居城となり、以後明治維新まで続きました。
 昭和11年には国宝に指定されましたが、昭和20年の戦火で惜しくも焼失してしまいました。その後、昭和34年に、外観を昔そのままの容姿で再建され、城下町大垣のシンボルとなっています。



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【 東門 】

東門から天守に向かう


東門
 
艮隅櫓(うしとらすみやぐら)
     

東門から登閣口を経て天守へ


   


【 天守 】



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【 西門 】

西門から天守を望む
   
1935年に戸田氏鉄が10万石にて大垣城主として入り、戸田家が幕末まで大垣藩を継承した。







戸田氏鉄公像
 



【 乾隅櫓〜(水之手門跡) 】

乾隅櫓(水之手門跡)から天守を望む
 
 
 



戌亥櫓(いぬいやぐら)
という表示になっている


大垣城の石垣


 

 



おあむの松
 
関ヶ原の戦いの際の落城寸前の大垣城から脱出し、この戦いの様子を語り継いだ女性「おあむ(おあん)」が、脱出の際にこの松から堀のたらいに乗り移ったと言われている。






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[ 2018.06.09 : 受付 ]  

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