な ん で も 写 真 館



「 福知山城 」
[写真&コメント:10期/管理人]       .
   ○○ 城シリ−ズ ○○

今年のお盆休みに地元の綾部市で開催された中学校の同窓会に参加し、翌日実家の固定資産税関係の確認のために京都法務局・福知山分室に出かけた際、そのすぐそばにある福知山城にも足を延ばしてきました。
福知山市綾部市に隣接していることもあって、私の幼少時には近くにある三段池公園には遠足で行った記憶はあるのですが、これら福知山城の建物があった記憶はありませんので、それ以降に福知山城公園として一帯が整備されて、福知山市郷土資料館として福知山城が再建されたようです。
天守大石垣の転用石が有名なので期待して行きましたが、初めて目にする光景に圧倒されました。
[ 撮影日:2015.08.17 (Mon.)]



【 福知山城正面 】
[福知山城の概要]
天正7(1579)年、丹波を平定した明智光秀が築城した福知山城は、明治のはじめに取り壊され石垣と銅門番所だけが残っていました。昭和61(1986年)年、市民の瓦1枚運動などの熱意によって三層四階の天守閣が復元されました。内部は郷土資料館として公開し、城に関する資料や福知山地方の歴史・文化財を紹介。また、望楼からの城下の眺めは抜群です。  
[出典 : http://www.city.fukuchiyama.kyoto.jp/life/facilities/entries/000594.html

[福知山城 ]
福知山城は天正年間明智光秀の縄張りと伝えられ、慶長年間にいたり近世城郭として完成されました。
明治の廃城後、わずかに残された本丸に多くの皆様の協力により大天守閣・続櫓・小天守閣が再建されました。
城郭研究の権威東京工業大学名誉教授藤岡通夫工学博士の復元設計による二重櫓に入母屋の大屋根をかけ、その上に小望楼をのせた姿は初期天守閣の様式をよく表しています。

 ・構 造   鉄筋コンクリート造
         三層四階建
 ・延床面積 1063平方メートル
 ・総 高   20.2メートル
 ・竣 工   昭和61(1986年)年11月9日

             福知山市
[出典 : ↓ 城内の掲示板より]





【 福知山城公園観光駐車場から天守 】
写真中央は釣鐘門

 
【 佐藤太清記念美術館 】
隅櫓風城郭建築建物が昇竜橋横に


【昇竜橋越しに見る大天守】
 
【登城路】


【 天守台石垣に見える斜めの境界線 】
中央部のせり出した天守台石垣には、明智光秀が天正時代に築城した頃の石垣(右側)と、江戸時代に増築した際に積まれた石垣(左側)との境界線が斜めになって見える。当然、天正時代の築城時の部分に転用石が多く使用されている。
   

【 伯耆丸近くから見た本丸 】


《 本丸 》

【 釣鐘門 】
釣鐘門は2009年復元。

 

写真右下の幟の所が大天守入場口



【 銅門番所 】

 
【 銅門番所横の転用石置き場 】

 
【 天守閣復元鯱瓦 】

 
【 豊磐の井(とよいわのい)
本丸にある直径2.5mの井戸で、
深さ50mは日本一。



土塀の裏側の石柱控柱
 
埋門か?


《 大天守の内部 》

大天守内部の石落しと狭間

 
窓は蔀戸が多かった


周辺風景の説明板

大天守から福知山城公園観光駐車場
方向を見下ろす

 
大天守から方向を望む
アーチ橋は由良川に架かる橋


《石垣に見られる様々な転用石》


   












【 福知山城の石垣 】
天守台の石垣は野面積。



 

転用石の種類としては、宝篋印塔、五輪塔の他に、
一石五輪塔、石仏、笠塔婆、石臼等があり、
これらは現在も石垣の部材として使用されている。
[ 出典 : Wikipedia


 

 
天守裏側の土塀内側にも発掘された転用石が多数展示されている。 

 【 銅門番所横にある転用石説明板 】


《帯曲輪から見る天守群》

【 本丸下の石垣 】
釣鐘門から下ってくる石段。
写真左手の坂が登城路。
 
【 小天守(手前)と大天守(奥) 】





[2015.08.21:受付]  

ご意見・ご感想および山梨大学マンドリンクラブに関する新規情報などは下記にご連絡下さい。
連絡先:管理人にメール (管理人/第10期[1974年]卒業生)

inserted by FC2 system