な ん で も 写 真 館



「 首里城 」
[写真&コメント:10期/管理人]       .
   ○○ 城シリ−ズ ○○

“アンサンブルあざみ in 沖縄” の観光編の中で一部紹介済みですが、ここに首里城の部分だけを改めてまとめ直しました。
実は首里城は今回が2度目でして、社会人時代に特許流通関連の仕事で宜野湾のコンベンションセンター(?)に出張した際に、時間を見つけて行ったことがあります。その時は十分な時間が無くて、駆け足で回っただけだったので、今回はゆっくりと見て回ることができました。
[ 撮影日:2015.04.10 (Fri.)]



【 首里城正殿正面 】

[首里城の概要]   (国指定史跡 1972年5月15日)
首里城は、1429年から1879年まで琉球王国の国王の居城でした。王城は、琉球の 政治、外交、文化の中心として栄え続けました。発掘調査 の結果、首里城は14 世紀の末頃までには築かれていたことが明らかになっています。首里城は、地形 を巧みに活用して内郭と外郭に分けて築かれ ています。城壁は琉球石灰岩の切 石で築かれ、その総延長は約1,080mです。城壁の高さは、6〜15mにもなり、そ の厚さはおよそ3mで す。歓会門が大手門(正門)で西側城壁にあります。 城内には正殿・北殿・南殿などの重要な建物が御庭(うなー)を囲んであり、正殿 は、1925年に指定されました。しかし、これらの建物群は、 沖縄戦ですべて焼 失し、1972年から復元整備が実施されています。
  (沖縄県教育委員会)

[出典 : http://www.odnsym.com/isan/syuri.html
   


(↑:click) [出典 : まっぷる沖縄]
 

首里城復元の経緯を刻んだ
首里城復元記念碑
「甦る首里城の碑」

新聞記事


【 守礼門】
日本の城の大手門に相当する門。
守礼とは礼節を守るという意味。尚清王時代(1527〜1555)に創建。扁額の「守禮の邦」とは「琉球は礼節を重んずる国である」という 意味。二千円札のデザインにも。
   



【 園比屋武御嶽石門 】
国王が出御の際に道中の安全をこの石門前で祈願。



歓会門を望む

(←:click)
首里城公園総合案内パネル
 
【 歓会門 】
首里城の城郭内へ入る第一の正門。
日本では珍しい石造のアーチ門の上に
木造の櫓を載せた形式。

 
【 瑞泉門 】
アーチ門ではなく、断ち切った城壁の上に
直接櫓を載せている
 
【 龍樋 】
瑞泉門の手前右側にある湧水で、
国王一族の大切な飲料水。


【 漏刻門 】
櫓の中の水時計で時刻を計った
ことから名付けられた門。

 
【 広福門 】
木造建物の中央が門になっている。
券売所があり、ここから有料。

 
西(いり)のアザナの展望台から那覇港・那覇市内を望む
アザナとは遠くまで見渡せる場所の事。


《首里城正殿》

【 奉神門 】
「御庭」(うなー)へ続く最後の門。
3つの入り口があり、中央の門は
国王や身分の高い人だけが通れる門で、
この門を抜けると首里城正殿の御庭へ。


このスロープから奉神門を経て首里城正殿

 

【 首里城正殿 】
約500年にわたって琉球王国の城としてあり続けた首里城の
中心的な建物で、中国の紫禁城をモデルに、日本の建築要素
を取り入れた琉球独自のスタイル。
御庭(うなー)には紅白の瓦が敷き詰められ、儀式の整列の際の目安とも。
1階が国王の政務場所で、2階は王妃や身分の高い女官が使うスペース。


正殿内二階の御差床(うさすか)
「中山世土」の扁額が再現。
 
正殿内一階の御差床 
御差床は政務の際に国王が座る玉座を指す。

北殿に展示の首里城正殿のジオラマ
(元旦の儀式「朝拝御規式」の様子を再現)
 

【 首里城正殿 】
建物正面の軒先板は唐破風と呼ばれる
日本古来の建築様式。
中央の火炎宝珠・両サイドの龍や瑞雲などの
極彩色の飾りは琉球のもの。



現在もまだ復元作業中

北殿の出口
北殿は王府の役人が働く中央省庁であり、
迎賓館としても使われた。


【 淑順門 】
門の造りは櫓門形式・入母屋造・本瓦葺
 
【 右掖門 】
双璧の門の上に櫓が設置されている櫓門
     

【 久慶門 】
門の造りは中央が石造アーチ門、その上に木造の櫓
 
久慶門(右)と歓会門(奥)




人工池の 「龍潭」 越しに見る首里城 (龍潭通りから)


《追加画像》
アップ後に新たに見つけた北西上空から首里城をみた空撮画像です。

(↑:click)  [出典 : 「名城を歩く 14/首里城」 (PHP研究所 P11)]
当日城内を歩いていた時は、各所の門や石垣等で曲がる度に位置関係が良く判らなかったのですが、この空撮写真を見ると位置関係が良く理解できます。
特に外周を構成する蛇行している石垣の存在は気付かなかっただけに、見て回れなかったことが今となっては心残りです。(久慶門から出ればすぐ右側に外周石垣があった様なのですが、門は閉まっていました。)


《付録》
首里杜館(すいむいかん)内の 「レストラン首里杜 (すいむい)」 で昼食
   
沖縄食材オンパレードのそば定食
をいただきました。
             [出典 :首里杜のHP]


[2015.05.16:受付]  

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