な ん で も 写 真 館



「 備中松山城 」
[写真&コメント:10期/管理人]       .

   ○○ 城シリ-ズ ○○

備中松山城」 は日本三大山城のひとつ (残りは美濃岩村城と大和高取城) であり、現存12天守のひとつに数えられていますが、地理的に最も行くのが困難とも言われており、今回1泊2日の バスツアー(「出雲大社・昇殿参拝と天空の城・備中松山城」) を見付けたのでそれを利用して行ってきました。
[ 撮影日:2013.09.12 (Thu.)]

【 天空の城として有名なショット 】(出典:高梁市HP) →

備中松山城は天守が現存する山城の中では最も高い標高430mの臥牛山頂上付近に建つ。城のある臥牛山(松山)は4つの峰(小松山、大松山、天神の丸、前山)からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。
現在は城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が国の重要文化財に指定されている。そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存す る。
現存する天守は、2層2階で、西面に半地下のようにして付櫓(廊下)が附属する複合式望楼型天守である。現在は西面に附属する付櫓(廊下)に開けられた出入り口から入ることができるが、当初は、八の平櫓から渡櫓を経て天守へ至った。


[ 出典 : 「日本の山城を歩く (P169) 」 (山川出版社) ]
(2020.09.04:追記)





備中松山城の二層二階の天守 】                               

 (←click)
【 現地で入手した登城絵図 】 (高梁市観光協会作成)



バスの乗り入れは麓の駐車場までで、そこからふいご峠駐車場までは別の小型バスに乗り換えて移動。
ふいご峠の遊歩道入り口の看板には “700m、徒歩20分” との表示があったが、竹田城に比べてもかなりの厳しい坂道の連続だった。

【 案内板 】       (↑:click)


【 中太鼓櫓跡の石垣 】
本丸と下太鼓丸の中間点で、
石垣上の眼下には市街地が!


【 中太鼓櫓跡から見る高梁市街 】








登城心得の看板 】
坂の途中には城主名で
色々なメッセージが
(これは大手門跡のもの)

大手門跡周辺の石垣 】
これら石垣群には圧倒される。

【 大手門跡から三の丸と厩曲輪の高石垣を望む 】
備中松山城の見どころである岩盤の上に築かれた石垣が大迫力!!
天然の岩盤の上に石垣を築き、更に土塀を建てている。



大手櫓跡 】



【 二の平櫓跡 】
土塀が残っており、四角と
丸の狭間が切られている。


三の丸から厩曲輪方向 】

 
【 黒門跡から二の丸方向 】

 



二の丸から天守を背に五の平櫓(中央)と六の平櫓(左奥)を望む 】
松山城の定番ショットポイント。


【 五の平櫓と六の平櫓 】
2つの櫓間に本丸南御門(表門)に続く石段

【 石段を登り切った右側が南御門 】
左側に券売所



備中松山城の天守正面 】
最も高い所に天守の現存する山城。(標高430m)
2層2階の小規模な天守の向かって左側に付櫓(接続廊下:つなぎろうか)が附属する。
ここでも元々あった岩盤上に石垣を組み上げている。




天守左側に付属する付櫓が天守への入り口 】

【 天守右側の東御門
ここから二の丸帯曲輪に
下りると、二重櫓に至る。





【 格子窓 】


【 囲炉裏 】


【 石落し 】

 
内側に吊られた蔀戸 】


【 天守2階天井部 】
 
【 天守2階に設けられた御社壇 】
     



【 天守2階から見る二重櫓 】
写真の右端に北門の一部が


二の丸帯曲輪より見上げた天守 】
手前は本丸土塀と本丸東御門


【 二の丸帯曲輪より見た本丸東御門
本丸の勝手口にあたり、
門には閂があり、番兵が外から
開閉できるようになっていた由。



【 二重櫓 】
ここでも岩盤上に石垣を築いて二重櫓を上げ、
後曲輪からの門を兼ねている。


後曲輪石垣上から二重櫓、天守を望む 】

【 北門
天守と二重曲輪の中間に位置。



《付録》 同じツアーで行った “出雲大社” と途中のSAで出逢った装甲車

  


[2013.09.14:受付]  

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