な ん で も 写 真 館
「 出石城 」
[写真&コメント:10期/管理人] .
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城シリ−ズ
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“天空の城 「竹田城跡」!但馬3つの桜めぐり” というWEBで見つけた日帰りの
バスツアー
に行ってきましたが、そのうちの 「
竹田城
」 に関しては既にアップ済みですので、今回は「出石城」 編です。
[ 撮影日:2013.04.17 (Wed.)]
【
木造復元された隅櫓
(西側)
】
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出石城の写真といえば木造復元された東西2基の隅櫓ですが、
桜の木との関係からアングル的にはこの西側の隅櫓が有名です。
[出石城跡の概要]
“出石城” は慶長九年(1604)に小出吉秀によって山頂にあった山名氏時代の “有子山城” を廃して山麓に新たに築かれたもので、元和の一国一城令による但馬唯一の城です。宝永三年(1706)以降は仙石氏の居城として栄えました。
出石城は平山城に分類され、縄張りの形式的には“梯郭式”といわれ、有子山の麓に上から稲荷曲輪、本丸、二の丸、三の丸と梯子を立て掛けたように城を築いています。
明治時代になり、廃城令で出石城も取り壊されましたが、辰鼓櫓、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されて、観光地となっています。
[出典 : パンフレット]
【 登城橋 】
城前を流れる谷山川に架けられた橋で、
この橋を渡ると登城門に至る。
【 出石城登城門 】
軽いアーチ形の登城橋を渡ると
すぐそこが登城門になっている。
【 二の丸石垣越しに西側隅櫓を望む 】
【 西側隅櫓 】
(↑:click)
.
【 西側隅櫓 】
二の丸内には各種の桜の木が植えられており、
左側のソメイヨシノは完全に葉のみになっており、
中央部の八重桜が辛うじて花を保っていました。
【 稲荷曲輪に至る階段 】
【 本丸跡に設置された石碑 】
【 本丸側から見る木造復元された隅櫓
(西側)
】
【 本丸側から見る木造復元された隅櫓
(東側)
】
【 隅櫓には石落としも 】
【 本丸の上にある稲荷曲輪の高石垣 】
稲荷曲輪からは出石の街並みを一望できる
《
有子山城
》
【 有子山城への登山口 】
稲荷曲輪入り口脇に有子山城への登山口を見つける。
有子山城跡は出石城の背後に控える高峰にあって、
立派な野面積み石垣の他に、中世山城にはつきものの
堀切や竪堀等が残っているとのこと。
ここから尾根伝いに登るそうだが、今回は止む無く断念。
【 登山口横の石碑 】
【
有子山城の説明板 】
(↑:click)
【
出石城とその背後に控える有子山城 】
《付録》 “
但馬の小京都:出石
” の城下町散策
.
出石は城下町の面影を色濃く残していることで有名で、そんな中でも近畿最古の芝居小屋として有名な 「永楽館」 や 「桂小五郎の潜伏居跡」 などの歴史ポイントへも是非行きたかったのですが、ツアーの悲しさで出石での散策は1時間しかなかったために、本命の 「出石城」 に登城した後は出石町のシンボルである 「辰鼓楼(しんころう)」 に行った程度になりました。
もちろんその時間内に有名な 「出石皿そば」 を食する時間も確保していましたので、しっかり堪能してきました。
「出石皿そば」 は出石焼きの白地の小皿に小分けして盛る “5皿で一人前”スタイルで、追加は皿単位で注文するようになっていました。薬味はわさび・ネギに加えて山芋のとろろと生卵が付いてきて、最初はわさび・ネギだけ、次にとろろを加え、さらに生卵を加えてと、名古屋のひつまぶしの様に3種の味を堪能できました。
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【 辰鼓楼 】
明治4年に旧三の丸大手門脇の櫓台に建設されて、現在では3代目の時計が時を刻み続けており、今では出石町のシンボルとなっているようです。
《付録》 “但馬3つの桜めぐり”: 残りの2ヶ所
【 夜久野の八重紅しだれ桜並木 】
かろうじて5分咲き程度に花が残っていました。
【 竹田城/北千畳の葉桜 】
竹田城はあたり一面既に葉桜となっていました。
何でも今年は鳥害のせいもあって例年の2割程度
くらいしか咲かなかったことも災いしたようです。
[2013.04.27:受付]
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