【 雲海に浮かぶ竹田城 】 (↑: click)
竹田城の写真といえば何と言ってもこの雲海ですが、季節的およびアングル的にも
当然見る事はできませんので、朝来市のホームページからベストショットを拝借!
(朝来市ホームページからは竹田城のライブ映像も見ることができます。)
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安土城や姫路城と同じ穴太(あのう)積みによる見事な石垣が残り、平面構成の美しさは全国でも指折りと言われる城跡。
東西約100m、南北約400mの規模で、標高353.7mの古城山の山頂にあり、「虎臥城」とも呼ばれている。
(年間で2万人ほどだった観光客が、2014年には50万人を超える竹田城ブームとなった。)
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[出典:まっぷる/城崎・天橋立・竹田城]
[2015/10/10:追記]
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【竹田城:縄張り】 (↑: click)
[竹田城跡の概要]
JR播但線・竹田駅の西方、古城山(標高353.7m)の山頂部が竹田城(虎伏城)です。
嘉吉年間(1441〜4)、守護大名の山名持豊(宗全)の有力家臣(国人)のひとり、太田垣の築いた城郭であります。そのころの竹田城は砦に近い小さなものであったでしょう。その後、文禄年間(1592〜5)から廃城になった慶長5年(1600)に近いころ、いまのような豪壮な石垣積みの城郭となりました。
この石垣は、織田信長の安土城と同じ技術(穴太積み)を用いています。山城としての美しさとともに、その縄張り(平面構成)のみごとさは全国でも指おりの城郭といえましょう。
竹田城の縄張りは、中央の最高峰を天守台とし、周囲に高見殿(本丸)、平殿、奥殿、花殿を配し、さらに鳥が双翼を広げたように、その南北の端をそれぞれ南千畳・北千畳としました。城の規模は南北約400m、東西約100mで、いまなお当時の偉容をほこっています。
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[出典 : 現地駐車場の資料コーナーにて入手した資料] |
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【竹田城:復元イラスト】 (↑: click)
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[出典 : 「山城歩き 徹底ガイド」(洋泉社MOOK/P43)] |
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