な ん で も 写 真 館



「 名古屋城 」
[写真&コメント:10期/管理人]  

   ○○ 城シリ−ズ第?弾 ○○

今夏に行われた「マンドリンビッグコンサート2005」を聞きに名古屋に行った時に、愛知万博に
足を伸ばす程の時間は無かったので、名古屋城を訪れて来た。

名古屋城は名古屋台地の上に築かれた平城で、日本三大名城(あとは大阪城、江戸城)のひと
つとして有名であり、江戸幕府御三家のひとつ尾張徳川家61万9千石の居城である。
第2次大戦まではほぼ現存していたにもかかわらず、昭和20年(1945年)の空襲にてその多くを
焼失したが、昭和34年(1959年)に大天守と小天守が再建されており、現在でも本丸御殿が復元
されるべく計画中との表示があった。大天守の各階は歴史ミュージアムとなっており、様々な復元
模型や歴史資料が展示されている。
当日は、東門から表二の門を経て天守閣に向かったが、コンサートの時間の都合もあって、城地
の南側と東側近辺しか散策できず、二の丸庭園や西北側の御深井丸などへ足を伸ばせなかった
のがやや心残りである。
                                        [撮影日:2005.08.13]




1.東門に通じる東門口にかかる橋 】
名古屋駅からは、地下鉄に乗って市役所駅にて下車、
徒歩数分ほどで東門から入場。
    
【 2.入場口にある説明板 】
全景がイラストで現されており、全体のイメージが
よくわかる。
  

【 3.二の丸庭園南側から見る東南隅櫓(辰巳櫓) 】
2層3階構成で、“入母屋造り”の本瓦葺きとなっている。


  
【 4.清正公石曳き象 】
名古屋築城は天下普請として多くの大名が駆り出されたが、
なかでも豊臣系大名の加藤清正は忠誠を見せるべく、石塁
構築のために大石を運んだ有名なエピソードを現したもの。
  

【 5.表二の門 】
この表二の門は西南隅櫓と東南隅櫓の間に位置し、
我々は東門から入ったが、南側の正門から入った場合
でもこの表二の門から天守閣に向かうことになる。

【 6.本丸御殿跡から大天守/小天守を望む 】
表二の門を入るとすぐに本丸御殿跡があり、礎石が往時の
御殿の規模を偲ばせてくれる。

  

【 7.本丸広場から見る大天守と小天守】
本丸の西北部に、再建された鉄筋鉄骨コンクリート製の大天守と小天守が並び立つ。
大天守は5層(7階地下1階)、小天守は2層(2階地下1階)からなり、その間の地下を
橋台で結んだ“連結式天守”の形式を持っている。
一時期愛知万博会場にて展示されていた黄金のシャチホコも無事に元の場所に戻って
その輝きを放っていた。

 
 

【 8.大天守と小天守を結ぶ橋台 】

 
【 9.橋台から見上げる大天守 】

 

【 10.西南隅櫓(未申櫓) 】
2層3階構成で、初層は“入母屋破風” と “唐破風”を
重ねた重ね破風となっている。


【 11.西南隅櫓と表二の門の間の土塁 】
西南隅櫓は表二の門の西側に位置する。
土塁の手前は内堀になるが、空掘であった。
 

【 12.小天守の南側に広がる本丸御殿跡 】
礎石だけが残っていたが、現在再建計画がある
そうで、豪華な書院造りが見られる日も近い。
 

【 13.二の丸土塁とその外側の外堀 】
東門口にかかる橋から見た西側の風景。
外堀だがやはり空掘であった。
北と西側にある外堀のみが水堀のようである。

 
 
[2005.10.08:受付]  

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