「 躑躅ヶ崎館(武田神社) 」 |
[写真&コメント:10期/管理人] |
○○ 城シリ−ズ第4弾 ○○
我々10期生の同期会で甲府を訪れた際に、久しぶりに躑躅ヶ崎館にも足を伸ばしてきた。
30年ぶりに訪ねたのだが、そこには昔のままの武田神社が今もあった。
躑躅ヶ崎館は、東西284メートル、南北193メートル、四周に濠をめぐらし、その幅も昔には
8メートルから12メートルくらいあったようである。濠の内側は3〜5メートルくらいの土塁が
あり、一部に石塁もある。大手、搦手とも城戸を入り口としてすべて橋で守られていた由である。
中央の館のあったあたりに天守台が残っているが、天守閣は造らなかったようで、近世の城郭
のイメージとは違い、あくまでも戦国初期の城塞といっていいだろう。
武田信玄は、「人は石垣、人は城」と言って城を築かなかったと言われているが、実際にはこの
「躑躅ヶ崎館」と詰めの城とも言うべき「積翠寺要害山城」とのセットで外敵からの防衛を考えて
いたと言われている。
[撮影日:2004.12.19]
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【 空から見た躑躅ヶ崎館 】 (昭和50年代初め頃の撮影か?)
[出典 : “ザ・マン”シリーズ「武田信玄」(プレジデント社/昭和55年発行)]
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[出典 : 「大図解 戦国史」 (平凡社/P58)]
(2020.08.07 : 追記)
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【 1.大手方面から望む 】
大手方面にかかる橋から、武田神社の鳥居が見える。
この風景は昔のままである。
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【 2.入り口にある説明板 】
全景がイラストで現されており、全体のイメージが
よくわかる。 (click → 拡大表示)
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【 3.武田神社本殿に向かう参道 】
大手の橋を渡ってその先にある石段を登った場所
から見る参道と武田神社本殿。
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【 4.武田神社本殿前にて 】
武田神社本殿前にてYUMC/10期生で記念撮影。
この右側に鉄筋コンクリート造りの宝物館があり、
武田信玄をはじめ武田家関係の資料が陳列されている。
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【 5.武田神社境内 】
もっと鬱蒼と木々が繁っていたイメージがあったが、
季節のせいかわりと開放的であった。
年末のために既に初詣の準備がなされていた。
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【 6.裏手から要害山を望む 】
要害山には躑躅ヶ崎館の詰めの城とも言うべき積翠寺要害山城が
あった。戦で躑躅ヶ崎館から避難した信虎夫人がここで武田信玄を
産んだと伝えられている。
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【 7.東側の空濠】
南側には水をたたえた濠があるが、その他は濠を掘った土を
掻き上げた土を盛り上げて作った土塁があるのみ。
東側の橋の側から空濠を見る。
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【 8.空濠の紅葉】
訪れたのはもう年末だというのに、まだ鮮やかな紅葉が残っていた。
(ここは東側の空濠と土塁の部分で、濠に紅葉の落葉が溜まっていた。)
やはり気候が何か変?
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【 9.大手にかかる橋 】
大手にかかる橋と南側にひろがる水をたたえた濠。
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【 10.南側のある土塁と濠 】
ほんの一部に石塁が見られるが、あくまでも濠を掻き上げた
土を盛り上げて作った土塁が主体で構成されている。
このような水をたたえた濠は主に南側と西側の一部のみ。
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【 11.武田神社を背にして見る武田通り 】
武田通りはすっかり装いを新たにしていた。
水銀灯のポールの意匠デザインがなにやら史跡っぽく、
縁石や敷石などもきれいに整備されていた。
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[2005.01.22:受付] |