な ん で も 写 真 館



「 福岡城
[写真&コメント:8期/長谷川さん(S47年電気卒)]       .
   ○○ 城シリ−ズ ○○

福岡への出張の合間に福岡城を見てきました。
福岡城は黒田孝高(官兵衛、如水)の長男、初代福岡藩主となった黒田長政が、慶長6年(1601年)から7年がかりで築城しました。この時点では1597年の慶長の役後の李氏朝鮮との和平は成立しておらず、そちらへの備えでもあったかと思われます。平城で大中小の各天守台と47の櫓があったといいますが、現在は多聞櫓(重要文化財)などと石垣が残るのみで天守は失われています。
[ 撮影日 : 2010年12月3日]


【追廻橋付近】
福岡市立美術館が福岡城西側に隣接しています。今回は美術館の帰りに福岡城址に立ち寄りました。追廻橋から城内に入ります。追廻橋は昔の木製の橋が復元されています。


【多聞櫓】
福岡城に47あった櫓の中で築城当時の位置に現存する唯一の櫓だそうです。本丸の西側に54m続いています。石垣に沿って多くの石落としを備えた防衛用の平櫓で通常は武器倉になっていました。有事の際には編んでいる竹が全て弓の矢になり、それらを結んでいる干しワラビは食料になるといった工夫もされていたそうです。


【本丸裏御門】
本丸のすぐ西側にあります。この本丸裏御門の建物は、大正5年に武具櫓、太鼓櫓などと共に浜町の黒田別邸(現・福岡市中央区舞鶴)に移設されましたが、戦災によって多くは焼失してしまったそうです。




【本丸】
天守主台の北隣にあります。本丸跡は現在はたくさんの桜の木が植えられ庭園風に整備されています。かつてはここに広大な本丸御殿やいくつかの櫓が建てられていたといいます。 また井戸の跡も複数残っています。

【天守台】
福岡城の「天守閣」はこれまでその存否が議論されてきましたが近年になってこの天守台に一時期、天守閣が存在していたことを裏付ける史料が確認されたそうです。5重層(6階構造)高さおよそ23-24mの天守閣が想定されています。現在はその礎石の石組みを残すのみです。
石組の上に登ることができ、市内を一望できます。 



(おまけ)




《参考》
.                                  [出典:今むかし日本の名城 88 西日本編 (別冊太陽)/平凡社





[2013.02.11:受付]  

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