1971年の電気・計算機科学第三講座(重永先生)にて |
[写真提供&コメント : 8期/長谷川さん(S47年電気卒)] . |
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1.大学構内
化学の授業で「薬品を調合して写真を印画紙に焼く」というのがありました。
この印画紙は現在まで全く変色もせず真新しいプリントのような新鮮さで残っていました。
そのとき構内の建物を撮影したものです。
教育学部の写真には大きな立看が写っていますが残念ながら文字を読み取ることができません。
70年安保闘争は1969年1月には東大安田講堂事件などが起こり、山梨大学でも占拠された学生課の火災や機動隊の突入があり、70年を待たずに一般学生から離れたものになっていきます。
この写真はそれ以降、おそらく1970年頃に撮影されたはずです。
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(正面側から見たT0館 左側奥が電気科建屋)
(左側:土木/発酵/応化建屋 右奥:工業会館)
(手前左側には掲示板コーナー、手前右側には藤棚が見える)
(T0館越しに見る土木/発酵/応化建屋)
(教育学部側の正門)
(正門に対向しているのが生協建屋)
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2.計算機科学科(および電気工学科)の計算機室
卒論は重永先生の講座で「フォルマント周波数による音声合成」というテーマでした。1971年から1972年にかけてのことです。写真は音声合成に使った ミニコン : OKITAC-4300 です。シンクロスコープやテープデッキも写っています。計算機がフーリエ級数を計算して音声の、まだ単音ですが、波形をつくります。計算機の時間は奪い合いになっているので毎日のように徹夜していました。はじめて計算機に触れ、機械語やアセンブラを覚えたことがその後の社会人生活の原点になったと思います。
ある日、「この計算機のメモリを全て0にクリアするプログラムを書け、賞品は即席ラーメン!」という掲示が貼られていました。実行中のそのプログラム自身もクリアして終わるわけですが、私は解けませんでした。
重永先生には10年ほど前に同じ会社に勤務している重永研の後輩と2人で名古屋でお会いしました。30年ぶりくらいにお会いするのに重永先生は「やあっ」と改札口からまっすぐ我々2人のところへ来られたのが不思議でした。重永先生には現在も毎年、年賀状をいただいています。
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3.南アルプス
下宿の窓から見た南アルプス。中央は北岳です。すばらしい自然に囲まれて毎日を過ごしていたのですが、当時はそのぜいたくさの自覚がなく、今更ながら残念だったと思います。
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(付録)
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[2013.02.11 : 受付] . |