【 News & 関連情報 】


田村 昭彦さんを偲んで
〜 写真 & 追悼コメント 〜
[写真&コメント : 1期・小山さん他OBの皆様方]
[2015.02.21 : 受付]



田村君の訃報に接し、あまりにも突然なことで、大変驚きました。昨年2月の「初弾きIN静岡」のことで、電話した時は大変元気な感じを受けましたが、これが最後となってしまいました。

葬儀後、このホームページに寄せられた「田村君を偲んで」の投稿を読ませていただき、明るく、人柄が良いことは皆さんが感じてきた共通項であり、後輩の面倒見がよく、慕われている様子も強く感じました。又、各地での「初弾きの行事」等を通じ、卒業後いったん薄れていた関係も、再び強まりお互いの楽しみ、喜びと安らぎさえ感じさせてくれました。

彼が歩んで来た足跡は、どの年代の方々でも学ぶことや行動することは、多少なりとも可能ではないかと思い、今後心掛けていきたいと思います。

本当に良い人を亡くしてしまって、誠に残念に思いますが、今は田村君の天国での安らかな眠りをお祈りするばかりです。

                         1期・小山 邦保



【 “新春初弾きin静岡2014”から 】
 2014年2月8日(土)
 シーグランデ清水ステーションホテル



【 開会の辞 】


【 Guitarパートにて 】


【 1/2/3期生の皆さんと 】


【 合奏後の全員集写真合 】



【 現役当時の懐かしい写真 】

【 S38年秋・T1教室横の校庭で 】
(左側より、田村、小林、小山)

【 S39年11月・県民会館で桐原ふじ子と4年生によるアンサンブル 】
(左側より、中込、猿谷、小泉、桐原、天野、田村、小林、内山、功刀)



【 S39年9月・本栖湖夏季合宿にて 】
(左側より、中込、小泉、田村、小林、岩崎、猿谷、小山、内山).



【 S40年9月・小室山妙法寺の夏季合宿に参加して 】
(左側より、守屋、太田、斉藤、小林、小山、田村).






【 田村 昭彦さん・告別式のご連絡 】

掲示板から転載させていただきました。)


【訃報連絡】 1期・田村さん 
                       8期@長谷川  2015/02/13 08:15

悲しいお知らせです。1期・田村さんが2月11日に逝去されました。
謹んでお知らせいたします。

(以下、5期田島さん・2期土井さん間のメールより引用)
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訃報です。 田村明彦さんが、2月11日に逝去されました。
私も、今日夕方知ったばかりで、連絡が遅くなりましたが、取り急ぎ連絡させて頂きます。又、田村さんと親しかった方々の連絡先が不明ですので、土井様のみに連絡させていただきます。奥様からは、急で、寒いから無理をなさらないようにとのお言葉を頂いております。

・通夜 2月13日18時開式 アイネット千代田 静岡市葵区竜南町2丁目2−29
・葬儀 2月14日14時開式 宝泰寺 静岡市葵区伝馬町12−2

田村さんは、年末に体調を崩され、年明けに再検査するが、練習に行けなくなるような事はないと言われておりました。年明け、2・3週の程練習を休まれたので、奥さんの所に電話したところ、検査で体力が消耗し、風邪をひかれて肺炎の治療をしている。とのことでした。県内はインフルエンザも流行し、お見舞いを控えていたところ、今日突然訃報の連絡が富士宮マンドリンクラブの代表者からありました。

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ご冥福をお祈りいたします。






【 田村 昭彦さんへの追悼コメント 】

掲示板などから転載させていただきました。)


「親愛なる田村君へ」 
                 中込 惇/YUMC1期  2015/02/16 21:51

このたび突然に君の訃報に接しました。
まったく信じられない気持ちです。

君とは、3年前の甲府でのOB/OG演奏会での元気なギター演奏に接したのが最後になってしまいました。

思い起こせば、山梨大学マンドリンクラブの創生期に少ないギター奏者として活躍してくれました。
合宿等で「アルハンブラ宮殿の思い出」をしんみり聞かせてもらったことを思い出します。
また、普段は練習で重苦しい雰囲気を冗談と笑顔で部員の雰囲気をやらげてくれました。愛嬌ある笑顔が今でも思い出されます。

最近はマンドリンクラブ活動のほかに陶芸や旅行を多趣味に楽しまれていたとか、元気な姿が目に浮かびますがそれ以外に何も想像できません。告別式の遺影はそのものの田村君でした。

でも、73年間人生を全うできたことととも思います。
残されたご家族も悲しみ中にそう思ってくれていらっしゃると思います。
どうか安らかにお休みください。
心から合掌して田村君の天国での安寧を祈念いたします。




「田村君の訃報に接して」 
                    一期生 小山 邦保  2015/02/16 22:44

田村君のご逝去の知らせを聞き、本当にびっくりし,どうして、どうしてと思わず口走ってしまいました。。
一期生のなかっでも現役入学で、故小林伸吾氏が2007.2.8に66歳で亡くなられた折には彼の分まで生きるとこのホームページの「小林伸吾氏を偲ぶ」に書いていたのに、「まだ早いぞ」と本当に残念に思いました。
しかし現実です。ご冥福を心よりお祈りいたします。

思えば1961年11月にマンドリンクラブが創設されたとき精密工学科11名が参加し、応用化学科の田村君は少し後からの入部でした。ギターパート担当で、メロデーが途中から消えてしまうようなまだ稚拙なマンドリンパートをしっかり支えてくれたこともありました。根が明るく、屈託ない人柄で部の活動に積極的に参加され、下級生とも親しく付き合い、人望もあったと思います。

卒業してから間もなく、東京で同期生が集まる折には明るいえがを見せてくれましたが、次第に年賀状だけのお付き合いとなってしまい、ある年末喪中ハガキが届いて、奥様を早くに亡くされたことを知りました。
再びお会いできるようになったのは「初弾きの行事」が静岡で行われたときです。会社を定年退職され,富士宮市に住んでいるということでしたが、本当に懐かしかったです。
以後、甲府、静岡の「初弾き」はすべて参加され、1期生では唯一演奏にも加わり、生き生きと楽しそうにしておりました。一期生として誇れるプレイヤーでした。

この「初弾き」の集まりで、後輩の田島君(5期)と再会し、田島君が所属している富士宮マンドリンクラブに、入会を勧められ、今まで活動中でした。

早くから先妻に先立たれたこともあり、数年前こ、残りの人生を共に歩く伴侶をと今の奥様といっしょになられ、これからという矢先き、本人も奥様も無念であると思います。
葬儀のおわりでの奥様の話の中に、一緒に過ごした年月は短かったけれど、本当に幸わせだったと語っておりましたが、田村君の人柄と行動力をもって惜しみなく愛をささげたものだと思われ、一層の悲しみを感じます。

田村君とはマンドリンクラブを通じてのお付き合いでしたが、「愛すべきよい仲間を持っていたなあ」と今は感謝の気持ちでいっぱいです。

どうか天国で安らかにお休みくださるよう、お祈りいたします。




「田村さんを偲んで」 
                 笠原 昭重(3期)  2015/02/17 08:35

田村さんの訃報を知り絶句する思いでした。

私は田村さんには本当にお世話になりました。
昭和38年に入学した時、学生課から紹介してもらったアパートが華光院というお寺の離れでした。6部屋位のアパートで、一番奥の部屋が田村さんでした。田村さんの部屋から時々ギターの音が聞こえてきて、本当にきれいな音色でした。私は楽器はやったことがなかったのですが、自分でも弾いてみたくなり、教えてほしいと頼んでいたら、その頃マンドリンクラブが創設され、田村さんが小林さん達に引っ張られて入部することになり、お前も入れと言われて自分も入部しました。
次の年に田村さんは工学部のすぐ北側のアパートに移りましたが、しばらくして隣りの部屋が空いたからと誘われて移りました。夜、時々田村さんの部屋で電気コンロで作ったインスタントラーメンをご馳走になったり、富士宮の田村さんの実家に泊めてもらって富士山に一緒に登ったこともありました。

社会人になってからも田村さんの結婚式に呼んでもらったり、大阪に出張した際、新婚の田村家にお邪魔したりしました。自分の結婚式にも出て頂きました。
ここ二、三回のOB会では田村さんと一緒に合奏ができて、本当に懐かしく嬉しく思いました。

人生というのは不思議なものだと最近思います。
もしあの華光院の離れを紹介されなかったら、マンドリンクラブに入らなかったでしょうし、就職も本当は機械系の会社にほぼ決めていたのに、土壇場で日本ビクターの求人票を見て、音楽的な雰囲気だろうと応募しました。結果的に自分と同じような動機で入社してきた技術系の人が多く、社風は居心地のよいものでした。

節目節目で会う人によって人生の方向が決まっていく、お通夜に出ていて、昔のことを色々思い出していました。
残念です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。




「田村さんの訃報に接して」 
                 2期 土井清志  2015/02/17 15:00

私が田村さんの訃報を知ったのは5期田島さんよりのメールでした。
2月11日にご逝去された旨、通夜・告別式のスケジュールと共に
「田村さんと親しかった方々の連絡先が不明です」と記されていました。
突然の訃報に絶句しながら、込み上げてくるものに堪えながら、1期の方5名と
2期3期5期8期10期の方 夫々1名に訃報を転送した次第です。

と同時に 田村さんとの様々な記憶が蘇り浮かびあがってきました。

@YUMCでは楽器のパートは違いながら、どんな相談にも乗っていただき 心配りのある 親身な助言を頂き まるで兄のような存在だったこと。
@田村さんが卒業された時、乗っておられた125ccのバイクをお譲り頂いたこと。
@田村さんが大阪勤務時代、私の結婚式披露宴の司会をお願いしたところ快諾頂き ギターソロ演奏もご披露頂いたこと。
@田村さんが広島勤務時代、三原市の幣宅までご足労頂き、歓談したこと。
@私たちがアンサンブルあざみを始めた頃から 田村さんに「ギターを押入れから出して!」 と何度も促しましたが「趣味の陶芸には指の爪不可、ギターには爪必要」と頑なに 断られたこと。
@2007年新春初弾きin静岡には 身内の方の看護・介護等 お忙しい時間を割いて 視聴参加頂いたこと。
@それが田村さんのギター魂を再点火し、5期田島さんの案内宜しきを得て 富士宮マンドリンクラブに加入され、以後YUMC初弾き会には毎回ギターで参加いただいたこと。
@2014年新春初弾きin静岡では 幹事に協力頂き 会場探しに奔走いただいたことや、
当日は「俺は丈夫だけれど土井チャンの体調が心配」と云って頂いたこと。
.........田村さんが先に逝かれるなんて!

等など、まるで走馬灯のようでした。

私は告別式に参列させていただくつもりにしていましたが 当日の体調不備で
失礼ながら はるかに遠い大阪から 真心を込めて合掌させていただきました。

田村さん 早いご逝去 残念至極です! 
本当に色々とありがとうございました、お疲れ様でした、
心よりご冥福をお祈りいたします




「田村さんとの思い出」 
                    田島 訓/5期  2015/02/17 21:36

 私の田村さんとの思い出の大部分は、諸先輩方と違い、田村さんが富士宮に戻られた時、恩返しのつもりでお誘いした富士宮マンドリンクラブに入部されてからの約6年間です。

 クラブ内では、合奏練習を楽しみながら、そして変わったリズムに苦しみながらも、速弾きできる貴重な役割も果たしておられ、特別練習時の休憩時には、豊富な知識を活かしいつも話の中心にいらっしゃいました。12年夏には、御尊父さんを亡くされ、しばらく一人暮らしをされておりましたが、間もなくして、「俺、従妹と再婚するため、静岡に引っ越す」と言われ、一瞬ヒヤリとしましたが、静岡から通うと言ってくれました。
 一番遠くにいる人が、いつも一番先に練習場に来て、イスを並べるなどの準備をしてくださっておりました。クラブ内では、風貌なのか、話し方なのか、田村さんと私のどちらが先輩なのか分らないとよく言われておりました。
 それ程、田村さんは若々しく、活動的でした。
 体調を崩される直前に、新たにギターを購入されたとも聞いており、音楽に対する田村さんの情熱を思うと、残念でなりません。

 私が、この掲示板に投稿できるのも、50年前、大学入試の時、田村さんからYUMCへの入部を勧められたからです。4歳の年齢差もあり、一緒にクラブ活動をする機会はありませんでしたが、私にとって、音楽のジャンルの広がりや、マンドリンやギターを愛する方々との出会いや交流を今でも続けられるきっかけを作って下さった大恩人と思っております。
 心からご冥福をお祈りいたします。
                                          田島 訓







田村 昭彦さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

〜 山梨大学マンドリンクラブ OB&OG一同 〜

[2015.02.21 : 受付]
 


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連絡先:管理人にメール (猪早逸郎/第10期[1974年]卒業生)




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